シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

「ニッポン」不思議な国の成立ち

(11)邪馬台国は日本のアテネだった

倭の軍船

時は流れ、あらゆるものは移ろいゆく…何ものも地上にその形を留める事は無い。
かって栄えた多くの王国は、砂や草に埋もれ、或いは朽ち果てた廃墟となり、誰もその栄華を見た者は居ない。
だが、そこに住んで暮していた民が、全て滅んでしまった訳ではない。離散した民はその栄華を伝説として語り継ぐ。
歴史学者は神話・伝説を歴史とは認めない。だが、それは例え虚構が混じっていようとも、紛れも無くかって地上に刻まれた歴史である。
群雄割拠の時代を迎え、大陸との交流が途絶えた三世紀後半から四世紀…確かに刻まれた日本の歴史がその中にある。
「日本神話」 政治的粉飾に彩られたこの物語こそが、確かな邪馬台国のその後の歴史を物語っている。
没落した邪馬台国の一部の勢力が、群雄割拠する九州から弾き出された後、いかにして新たな王権を築いたか…がである
しかしその前に、邪馬台国がどの様な国家で、何処にあったのかを検証して置きたい。

「今使譯所通三十國」 と魏志倭人伝にある様に、当時は30カ国余りの倭の国々が魏に使節を派遣していた様である。
数ある朝貢国の中で、なぜ魏は邪馬台国を重視したのだろうか?他の国に「親魏倭王」の位を授けても良かったはずである。
それは、九州・本土を含め、邪馬台国が各国(の物資や情報)を取り纏めるのに、地政的優位に立っていたからだろうと思う。
魏は当時、西方の蜀、南方の呉と戦争状態にあり、周辺(諸国)の情勢や、地理などの詳しい情報を入手しておく必要があった。
大国だから重視したのでは無い。魏の目線から見れば、倭国の情報が尤も多く集まる国だから重視したのである。
それを考えると、現代の地政ならともかく、当時では邪馬台国が奥地の近畿にあったと言うのは、無理がある様に思えてならない。
果たして近畿ヤマト勢力が、最低限二世紀中庸までに西日本全体…特に先進文化地帯である九州を掌握する事が出来ただろうか?
出来ていたなら大和政権は、三国志以前にとっくに成立していた事になる。日本史を書き改めなければならない事になるだろう。
ところが大和政権が九州に進出したのは、五世紀の事で、歴史的に見てずっと後の時代になっているのだ。
さらに、大和政権がとうの昔に九州を制圧していたならば、なぜ今更、再び九州を征服する必要があるのだろうか?

北九州にあった国々は、古くから大陸交易に拘って来た。博多にあった「奴国」もそうだし、邪馬台国も同様である。
なぜ、これほど中国を意識したのか?勿論、中国が文化先進国だと言う理由もある。だが後述するもっと重要な理由があった。
舟を駆って日本と大陸を往来した人々…それは海人族(マリン)である。ならば邪馬台国も、マリンが築いた国家だったに違い無い。
とすれば、その拠点が内陸にあったとは考え難い。おそらくその都は、沿岸に築かれた港湾都市だったはずである。
大陸との交易に便利で、かつ本州も見渡せる立地条件を備えた地…そんな都合の良い場所があるのだろうか?と思ったらあった!
富来隆氏が邪馬台国候補地に挙げた宇佐である。但し、そこは卑弥呼の墓陵だと言う…実際の都は、もっと湾岸沿いのはずである。
しかし、この周辺に邪馬台国があったと見ても良い。ここなら西は北九州全域、足を伸ばせば大陸に通じている。
眼前には瀬戸内海が広がり、南は東シナ海、すぐ北には関門海峡がある。交通の要衝・関門海峡を押さえておく事は殊に重要である。
つまりこの付近は、当時の地政として、東西南北に通じる交通の要衝に位置しているのである。
大陸からやって来た中国の商人。西から来た倭人。瀬戸内海を渡って来た本州の人々。関門海峡を抜けて来る裏日本の民族。
津々浦々から集まって来た人々が市を開き、物資の交易や情報のやりとりをするのに最適な場所である。
中国から新しい文物が入り、物資が商いされ、邪馬台国の民は潤い、市場から徴収される税は国家を繁栄させる。
ここまで書いて、筆者の頭の中には、古代に栄えたある港湾都市の名が思い浮んだ。そう…ギリシャのアテネである。
東はシチリア。西はイオニア。北は黒海。南はエジプトに通じるアテネは、当時ギリシャ最大の貿易港であった。地政は重要である。
ちなみに、邪馬台国は伊都国に軍隊を置いていた。これも港湾都市である。アテネの様に艦隊(水軍)も駐屯していた事だろう。
普段は他所から来る交易船を護衛したり、港まで案内したりして、時には邪馬台国の海岸線防衛の任に当たっていたと思われる。
マリンが築いた邪馬台国は、まさに日本のアテネ。当時の日本最大の貿易港であったのだ。

ところで、外来者がそうした市場に出入するには、邪馬台国の許可を得なければならない。
当時は、許可を得る為に国主に貢物を捧げると言う慣習があった。邪馬台国も同じ様に中国に貢物を捧げた。
そうして、貢物を受けた国主は、捧げた相手を属国(臣下)として認め、市場における交易を許したのである。
となると、邪馬台国は、九州はおろか(名目上とは言え)ほぼ日本全土を網羅する大国だと言う事になる。
これは魏も同様で(名目上は)西はインドから東は日本までに跨る大帝国であった。
当時のあらゆる文物と情報の全てが、邪馬台国に集まっていたのである。だから魏は尤も重要視したのであろう。

ところで、邪馬台国が中国外交に拘ったのには訳がある。先進文化に不可欠な交易品を中国が持っていたからである。
それは「鉄」であった。農機具や漁業用品、武具に至るまで、先進文化は鉄無くしては成り立たない。
ところが、日本には有望な鉄鉱山が無かった。現在でも日本の土壌は、世界的に非常に鉄分の含有量が少ない事で知られる。
だから後世、日本人は川の砂を漉して砂鉄を得ると言うセコイ事をしていた。きっと鉄交易は、邪馬台国に莫大な富を齎したに違い無い。
ちなみに、源平時代の鎧を見れば分かるが、鉄の産出が少ない日本の鎧は、竹や木の枝を編んで作られている。
それを斬り裂く為に、切っ先の鋭い独特な細身の日本刀が発達したのである。
対して三国志にも見られる様に、中国の鎧は鉄製である。細身の日本刀では到底歯が立たない。
だから中国では、鉄の鎧を突き破る為にズングリした直刀が発達した。これはヨーロッパにおいても同様であった。
 ~続く~

にほんブログ村 小説ブログへ

 
関連記事
スポンサーサイト
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼シムーン第二章 ~乙女達の祈り~
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼未来戦艦大和
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼ビーストハンター
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼地球年代記 ~カルマ~
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼まぼろし
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼やさしい刑事
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼幻影の艦隊
総もくじ 3kaku_s_L.png ▼その他の小説
もくじ  3kaku_s_L.png オリジナル詩集
もくじ  3kaku_s_L.png 随想/論文集
もくじ  3kaku_s_L.png 死とは何か?
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
  ↑記事冒頭へ  
←(12)邪馬台国 渡世人無頼帳 (ヤマト一家編)    →(10)嗚呼、日輪落つ!(卑弥呼没す)
*Edit TB(0) | CO(2)

~ Comment ~


日本刀と直刀の発達の裏に鉄が関係していたなんて。

日本の鎧と 中国の鎧ではどちらもメリットデメリットも
あるのでしょうね。
鉄製がやはり着ていても安心しますが、重いでしょうね。

剣道もそんな鎧から来ているのですか?ヾ(;´▽`A``アセアセ

sado joさんって社会の先生もされてたのですか?(*^~^*)
#517[2014/07/25 01:57]  yume-mi  URL  [Edit]

Re: y様 COありがとうございます^^

> 日本刀と直刀の発達の裏に鉄が関係していたなんて。
> 日本の鎧と 中国の鎧ではどちらもメリットデメリットも
> あるのでしょうね。鉄製がやはり着ていても安心しますが、重いでしょうね。

中国や欧州の騎士が、なぜ軽装のモンゴル兵に簡単に負けたかと言うと、
乗ってる馬を射られて、落馬して、鎧が重くてやられてしまったんです。
騎士に従者が付くのは、落ちたら助け起さなきゃならないからです(笑)

> sado joさんって社会の先生もされてたのですか?(*^~^*)

いいぇ、私がやったら、教育委員会やPTAから苦情が殺到しますよ。
神聖な教育の場に「仁侠」を持ち込む先生ですからね~(笑)
#520[2014/07/25 19:13]  sado jo  URL 














管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


  ↑記事冒頭へ  
←(12)邪馬台国 渡世人無頼帳 (ヤマト一家編)    →(10)嗚呼、日輪落つ!(卑弥呼没す)