シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

「ニッポン」不思議な国の成立ち

(12)邪馬台国 渡世人無頼帳 (ヤマト一家編)

次郎長

「倭」 「邪馬台」 「山門」 「山都」 「大和」 「和」 これらは字は違え全てヤマトと読む。なぜこんなにも多くのヤマトがあるのだろうか?
邪馬台国畿内説と九州説の論争の根源を調べてみると、実に単純な歴史認識の食い違いから生じている事が分かる。
畿内説を取る多くの研究者も、ヤマト政権が土着文化から興ったのでは無く、西から齎された先進文化の影響があったとしている。
となると、九州から近畿へ文化を齎した何者か(天孫族?)の移民が、卑弥呼以前か、卑弥呼以降かと言う事に絞られる様に思う。
実はその歴史の謎を解く鍵が「朝鮮の歴史書」にはある。そして、そこには別の「邪馬台国物語」が存在する
どうも日本人は、学者も含め中国の史書は重視するが、朝鮮の史書は無視して掛かる。そこに歴史を解読する無理が生じる。
紀元前より、韓半島南部には日本人と同族の倭人が住み着き、そこは日本だったのである。
「倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑」 と魏志倭人伝にある様に、中国はそれを一つの国(同一民族)と見なしていた。
そして大陸側(韓半島)から見れば、九州と西裏日本が見え、太平洋側は見えない。それが彼らが認識する日本であった。
朝鮮の史書には早くから倭の記述が現れる。度々新羅に侵攻した事。中国の東方拠点・帯方郡に出入し、百済と交流していた事。
それらの対外活動の規模の大きさを見る限り、二世紀頃の日本には、すでに何らかの統一政権が誕生していたと考えざるを得ない。
大和王朝成立以前、九州に存在したであろう「ヤマト古王朝」…日本神話の「神武東征(移民)」は、そこから分家した物語だったのだ。
朝鮮史によれば、大和朝廷はかなり早い時期に成立していた事になる。何の事は無い、卑弥呼はヤマト古王朝の女帝だったのだ。
そこでその辺の話を、仁侠物語にして面白おかしく書いてみたい。これにはお馴染みの「座頭市」や「木枯し紋次郎」も出て来る予定(笑)

昔々、大陸を取り仕切るマフィアの巨大シンジケートの南に、倭(ヤマト)と言う小さなヤクザのシマがあったそうな。
中国のシンジケートの大ボス「漢」からお墨付きをもらった「奴(博多)」の大親分は、韓倭と九州倭のシマを取り仕切っていた。
このシマには、古くから姫神信仰なる宗教があり、その総本山の姫神は、親分の系統の家の娘(皇女)が勤めるのがしきたりだった。
姫神と配下の巫女は、出産から結婚・葬式、果ては加持祈祷から祭りに至るまで、子分達の生活の一切合切の世話をしていたのである。
だから、誰しもが本山の姫神と、系列の神社に仕える姫巫女に頼り、家内安全や商売…いや、仁侠繁盛を祈願する拠り所にしていた。
さて、大親分にはたくさんの妾や子供が居て、それぞれの子供や子分達に「倭組」のシマをのれん分けして仕切らせていた。
そんな子供の一人に「ニニギ(*1)」と言う子が居て、この子は「倭組」と対立する「狗奴組」との境界にある日向のシマを仕切っていた。
狗奴組は、倭組の南にあるシマを取り仕切っていたが、ここはどうも宗教が違うらしく、男の長老が宗元締めだったらしい。
何度かシマを巡って小競り合いはあったが、概ね相手も極道の仁義は弁えているらしく、大きな出入にはならなかった。
そんなある日、ニニギのひ孫である分家の三男坊「イワレ彦(*2)」が、ひょっこり博多の倭組本家を訪ねて来た。

イワレ彦 「おやっさんよぉ、どうも日向のシマは窮屈でいけねぇ。兄貴とソリも悪りぃし、隣の「狗奴組」の奴らも騒がしい」
倭組親分 「…ってたって、オメェみたいな性分のヤツに、スッポリはまる様なシマなんぞ、倭にはねぇぞ」
イワレ彦 「聞いたトコじゃ、東にでっけぇシマがあるそうじゃねぇか。倭組から移ってった連中も居るって…そこ行って一旗挙げ様と思うんだ」 
倭組親分 「うむ…確か先々代の組長が若頭の「大持主(*3)」を近畿にやってシマを持たせたがな。何なら紹介状を書いてやろうか」
イワレ彦 「おぉ、そりゃあありがてぇ。恩に着るぜ、おやっさん」

かくして、倭組の分家の三男坊・イワレ彦は、子分を引き連れて意気揚々と日向を発ち、近畿に着いたのであります。
そうして昔、倭組の若頭を勤め、今は大和の地・橿原のシマを取り仕切る大持主の孫の所に参りました。

大持主命 「知らせは本家から聞いてたが、遅かったじゃねぇか。分家のぉ~」
イワレ彦 「いやぁ、それがあっちこっちで小競り合いになっちまって…この辺の連中は、極道の仁義も知らねぇ奴らが多くていけねぇ」
大持主命 「何にせよ倭組の分家が来てくれたなぁ有難てぇこった。いっそ、うちの娘を嫁にして養子になっちゃあくれねぇか」
イワレ彦 「まぁ、一からシマを作るよりゃあ、叔父さんのシマもらった方が楽だけどな…で、その娘さんてぇなぁ別嬪かい?」
大持主命 「あぁ、親が言うのもおかしいが、これがまたなかなかの上玉と来てる」
イワレ彦 「そうかい。そんじゃそうするとしよう…で、ついでだが、組の名前もヤマト組にしていいかい?」
大持主命 「あぁ、構わんよ…倭(ヤマト)組系橿原組よりゃあ、本家直系のヤマト組の方が箔が付くってもんだ」

こうしてイワレ彦は、橿原組組長の娘婿となり、まんまと自分のシマを手に入れたのであります。
その後イワレ彦は、橿原組…いや、ヤマト組を率いて、斬った張ったの大暴れ、周りのチンケな組々を次々と傘下に治めて行きました。
やがてヤマト組は、代を重ねる毎に大きくなり「孝霊組長(*4)」の頃には近畿一帯をシマにする大組織になっていました。
ところがその頃、九州本家の倭組では大変困った事が起きていました。
代々続いて来た姫神総本山の元締めに登る娘の系統が途絶えてしまったのです。
空席のまま迷っている内に、あちこちの組が騒ぎ始め、勝手勝手に自分達の娘を姫神に立てて、争い合う様にになりました(*5)
斬った張ったの挙句、相手の組の親分の首を取り、相手の姫巫女を処刑して、自分の組の姫神を優位に立たせようとしたのです。
タガが緩んでしまった本家の内輪揉めは、方々に飛び火し、あおりを喰らったヤマト組も、ほとほと手を焼く有様でした。
そんな時、孝霊組長の元に、九州本家の倭組組長から「姫神を貸してくれ」と言う依頼が飛び込んで来たのであります。
「うちは余るほど居るから貸してもいいが、一つ条件がある。あんたの上に立たせてやってくれるんなら貸そう」
孝霊組長は、弱い立場の本家の足元をしっかり見ていました。倭組組長は、しぶしぶ承諾するしかありませんでした。
こうして選ばれた分家の「倭迹迹日百襲媛命(卑弥呼)」は舟に乗り、難波の港からはるばる九州まで赴く事になったのです。
つまり卑弥呼姐さんは、分家である近畿ヤマト組から、九州博多の倭組本家へレンタルされた女王だったのです。
 ~次回は「座頭市編」をお送りする予定です~

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<*注釈について>
(*1)天津日高彦瓊瓊杵尊。 天照大御神の命により日本を統治する為、高天原から日向の高千穂に降ったと言われる。
(*2)神倭伊波礼琵古命。九州の日向より近畿地方に東征(移民)し、奈良の橿原で即位した日本初代の神武天皇。
(*3)倭大物主櫛甕魂命。大国主とも言われる出雲大社の祭神。元来は蛇神。橿原で自分の娘を神武天皇の后にした。
(*4)第七代孝霊天皇。奈良・箸墓古墳に葬られた皇女の「倭迹迹日百襲媛命」が卑弥呼だったのでは無いかと言われている。
(*5)「住七八十年倭國亂相攻伐歴年」と魏志倭人伝に記される二世紀の倭国の大乱。西日本全域に及んだ様である。
※ 当時は通い婚が普通で、神武天皇は大持主の婿養子と言う事になり、結婚によって娘の家の財産(日本)を相続する権利を持つ。
 
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#525[2014/07/27 10:41]     

Re: y様 COありがとうございます^^

男児の死亡率の高さは近年までありました。だから男子は貴重だったのかも?(笑)
思うに、生まれ付き免疫機構(DNA)が女子に比べて貧弱なのが原因ではないかと…
タ〇を付けるだけの生物なので、至ってシンプルにしか作られてないんでしょうね~
現実に、牡の持つY遺伝子は、絶滅に向かっていると言う生物学者の報告もあります。
古代の通い婚(一夫多妻)は、自然の原理から見れば、理に叶ってるかも知れません(笑)
#526[2014/07/27 15:42]  sado jo  URL 

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#527[2014/07/27 16:13]     

Re: h様 COありがとうございます^^

他社に引越し?そうですか~…それはとても残念です。
Fc.2の様な大手と言うのは、大勢のユーザーがいるので、
確かにハッカーや、闇業者に狙われやすいのは事実です。
あのYahoo!でも顧客名簿が盗まれたりするくらいですから…
だから、私はネットでのクレジット決済はしていません。

こちらもリンク以外の方法で、貴ブログを紹介できる様考えます^^
#528[2014/07/27 20:22]  sado jo  URL 

レンタル女王で笑った(´・ω・`)

#529[2014/07/27 21:52]  月島兎歩(つきほ)  URL  [Edit]

Re: つきほさん COありがとね^^

> レンタル女王で笑った(´・ω・`)

そう言われれば、AVビデオのタイトルみたいだねぇ~(笑)

歴史的に見ても、天皇が王宮を替えたり、出張するのは良くある事です。
なので、争乱を鎮める為に九州や出雲の別荘に丸ごと引っ越しも有りかも?
現在の宇佐神宮は、九州経営の拠点だったのかも知れませんね。
そう言やァ、徳川家も大阪に西日本経営の拠点を置いた様な気が…(笑
#531[2014/07/28 00:40]  sado jo  URL 














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