シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

「ニッポン」不思議な国の成立ち

(15)卑弥呼は豪族達に推挙された大和王朝初の天皇だった

吉永小百合の卑弥呼
吉永小百合演ずる卑弥呼…すいません。お側にお仕えさせて下さい(笑)

681年、川島皇子や忍壁皇子から中国の史書(後漢書・魏志倭人伝)を見せられた天武天皇は烈火の如く怒った。
そこにはこう記されていたからだ。
「卑しい女(卑弥呼)が日本の国王を勤めている」「その都は邪な馬の台地(邪馬台国)にある」
「弟(天皇と思しき人物)がその卑しい女の世話をしている」
中国の皇帝がその場にいたら、多分、天武天皇は中国皇帝をぶん殴って、中国と戦争を始めていただろう。
(史書に間違いは無い。三世紀当時はシャーマンたる姫神が事実上の天皇であり、天皇である男子はその介助役だったのだから…)。
思えば、天武天皇が小国・新羅には優しく、大国・唐に対して高飛車な態度を取ったのは、この中国の史書に遺恨を抱いていたからだろう。
天武天皇は、若い頃は実の兄、天智天皇に苛められ虐げられた挙句、命からがら都を捨てて熊野に逃げ隠れた。
その為、とてもコンプレックスが強く、プライドは殊の外高い。侮辱する者は、誰であろうと容赦しない気質であった。
「こんな嘘の書が巷に流布するのは断じて許せん!直ちに我が国の正しい歴史の編纂に取り掛かれ!」
こうして、天武天皇の勅命により「古事記」「日本書紀」が編纂される事になった。
そして「卑弥呼」「壹與」以下、多分、十数代は続いたであろう日本の女性天皇たる姫神は、全て皇統から抹消された。
しかし、さすがの天武天皇も「推古天皇」「皇極天皇」などの女性天皇が実在した既成事実は、隠す事が出来なかった。
推古天皇や皇極天皇は、なぜ女性でありながら天皇の地位に登ったのだろうか?探せば他に男子の後継者は居たはずである。
なぜなら、それはかっての(天皇)卑弥呼の故事に倣ったものだった。時代の背景に女性天皇を必要とする理由があったからだ。
日本の歴史を捻じ曲げ、解り難くしてしまった責任は天武天皇にあるが、その苦難の人生を思えばあながち責められぬ所もある。
我々は邪馬台国に拘り過ぎるから、逆に歴史が解らなくなっている。その辺の経緯も含め、正しい日本の歴史を考察してみたい。

その前に、この小さな列島に日本人が住み着いて15000年、おそらく中国に定着した漢民族より長い歴史を持つかも知れない。
なぜ、日本人はここから一歩も動かなかったのか?海に囲まれてるから…?いや違う!動く必要がなかったからだ。
これほど食べて行くのに恵まれた自然を持つ国土は他には無い。だから耕す必要が無かった。農耕が遅れたのも当然である。
農作業は力仕事である。だから大陸では労働力=男子が尊ばれた。ところが自然の生産力に頼る日本では、その象徴=女子が尊ばれた。
だから生まれた女子は宝であり、親が手放さないので、古来より日本は婿入り婚の形を取っていたのである。
そうして初期農業社会においても、この形は変らなかった。婿入りした男子は、貴重な家の労働力だったのである。

中国の史書に、はっきりした日本(倭)の記述が現れるのは、後漢の世祖・光武帝に倭の奴国の王が朝貢したと言う記録である。
光武帝は奴王に「漢委奴國王印」を授け、倭(ヤマト)の統治者と認めている。と言う事は、単なる九州地方の王では無いはずだ。
この時代(57年)に、すでに全国の豪族を纏める「ヤマト古王朝」が奴国(博多)に存在していた事を示しているのである。
当時の博多は日本で尤も大きな先進都市であり、大陸との交易も盛んで、政治・経済の中心地であった。
また、同じ九州地域からは、全国にたくさんの移民を送り出していたはずで、奴王は、地方の豪族達の纏め役でもあったと考えられる。
107年に後漢の安帝に奴婢160人を献上した、と言う師升等王の記録や、兵船100艘をもって新羅に侵攻した、と言う朝鮮出兵の記録を見ても、とても地方領主の為せる業とは思えない。

さて、世界史を見る限り移民や移住に至る原因は様々あるが、日本の場合は、戦乱より寧ろ耕作地の問題の方が大きい様に思える。
鉄器と稲作が齎された九州では、当然人口爆発が起こったはずである。そして、そこに当時の風習であった婿入り婚を加味してみる。
仮に家に三人の娘が生まれたとする。それぞれに婿を取ると、親は遺産として三人の娘夫婦に土地を分け与えなければならない。
当然、土地は狭くなり食えなくなる。婿殿が懸命に新田を開墾しても、土地の広さには限界があり、別の土地に移住せざるを得ない。
そうして人が獣で無いのは、誕生から死に至るまで何かの儀式を必要とし、先祖(氏神)を祀ったりする宗教行為を行なう点である。
人が大勢移動すれば、当然、その宗教を司る祭祀一族も一緒に移動して行く事になるのは必然である。
日本人は古来より山を崇め、特に霊峰と言われる山を神聖視した。山はあらゆる生命を産み出す源だと考えたからである。
全国のヤマトと名の付く場所は、そんな一族が斎場を開いた場所である。文字通り霊山の山門=ヤマトであったのだ。
ちなみに海外から帰って来る日本人は、富士山が見えるとホッとすると言う…どうやら精神的には、現代人も縄文人と変らないらしい(笑)
そんな祭祀一族の一つに、日向の霊峰・高千穂に斎場を開いた一族がいたものと思われる。仮にこれを「天孫族」としよう。
日向の耕作地が限界に達し、多くの人々が近畿に新たな土地を求めて移民した時、この天孫族も近畿へ移動した<神武東征>
九州や他の先進地帯に住んでいた多くの人々が、鉄器と稲作技術を持って近畿に移り、近畿地方の人々と合流したに違い無い。
天孫族も、縄文時代からの聖地であっただろう霊峰が連なる大和地方に移り住み、そこに小さな斎場を開いた。
そこは大小様々な部族の斎場が軒を連ねていた。そして、天孫族は大きな斎場を運営する大国主一族と婚姻関係を結ぶ事になる。
つまり、神倭伊波礼琵古命(神武天皇)は大国主の娘に婿入りすることによって、大国主の斎場を譲り受けたのだ<大国主の国譲り神話>
こうしてスタートした大和祭祀王朝は、それから十数代、姫神(女性)天皇が続く事になる。卑弥呼はその中の一人だったに違い無い。
一つだけ異なるのは、争乱期に生まれた彼女が豪族達に推されて、近畿だけで無く、日本全体を纏める天皇になったと言う事だった。
世界的に見て祭祀から始まった王朝は、全て武力勢力によって滅ぼされた。何と!生き残っているのは日本の天皇家だけである。
この奇跡とも言える歴史の構図が、良かれ悪しかれその後の日本と、日本人を作り上げて行く事になったのである。
 ~続く~

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~ Comment ~


吉永小百合さんって美しいなぁと
最近感じるようになりました!
年齢を忘れるくらい・・・年齢を知っていても、あの美しさに
可愛らしさ。女優さんでやはり、ナンバー1じゃないかなと思いました^^

最近だけが、マスオさん状態かと(お嫁さんの家に同居)こんな時代から
婿養子が存在するのを、はじめて知りました。

百人1首を覚えたのを思い出しました(笑)
#539[2014/08/02 02:53]  yume-mi  URL 

Re: y様 COありがとうございます^^

> 吉永小百合さんって美しいなぁと
> 最近感じるようになりました!
> 年齢を忘れるくらい・・・年齢を知っていても、あの美しさに
> 可愛らしさ。女優さんでやはり、ナンバー1じゃないかなと思いました^^

吉永さんは、美しいだけで無く、若い頃から不思議なオーラをお持ちでした。
そう言えば「若尾文子」さんや「八千草薫」さんにも不思議なオーラを感じます。
周囲にオーラを放つ古代の呪術者「姫神」とは、あの様な方々だったのではないかな?
>
> 最近だけが、マスオさん状態かと(お嫁さんの家に同居)こんな時代から
> 婿養子が存在するのを、はじめて知りました。

生産力(女子)を保有する者が、労働力(男子)を導入する。
(まるで資本主義)それが本来の母権社会における自然な発想だと思います。
逆に大陸では、農耕と言う人工的な生産方法が父権社会を育てたのでしょう。
父権社会は、抗争なども起こり易く不安定で、母権社会は比較的安定しています。
但し、進歩と言う点において、保守的な母権社会はどうしても遅れてしまいますね。
#540[2014/08/02 13:46]  sado jo  URL 

現代人と古代人では思考パターンが違います

今の時代の思考で、古代史を考察すると間違いを犯しやすいです。
科学の無い古代…全ての出来事は神や先祖の霊の力によると人は信じていたのです。
豪族達は考えた「これほど不幸が続くのは、神か何かの祟りに違いない」と怖れ慄いた。
当時、神や先祖を祀り、祟りを鎮め、民を安んずる呪術者の力は、絶大だったと思います。
卑弥呼や、13才とは言え壹與は、世に名高い強い感応力を持つ呪術者だったのでしょう。
呪術は人気の無い奥の院で、感応力の強い巫女達を集めて行われたのかも知れません。
そのお告げは常に当った…いや、信じてその通りに人が動くから当るのですが…(笑)
占ってもらった通りに動いて「あの占い師さん良く当るわ」と言ってる様なもんですね。
我々から見れば、三世紀の頃の人は、まだ心が純朴だったのでしょうね~(笑)
#541[2014/08/02 22:04]  sado jo  URL 

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#547[2014/08/03 20:38]     

呪術は=人の心理を操る魔術だったんだろうと思う。
現代知識のある人がソレを言葉にするのは難しいけれど、当時の人にとってあるべきものとして体感してたんだろう。
もののけ姫とか見ると、今の日本人が見失った呪術とはなんだったんだろうなあという気になります。
#549[2014/08/03 23:00]  月島兎歩(つきほ)  URL  [Edit]

Re: r様 COありがとうございます^^

> 卑弥呼の本名って、何て名前だったのかな~。
> 個人としての、本当の名前は何だったんだろう。
> 中国が勝手に響きだけで当て字にしたと中学の時の先生がおっしゃってましたが。

邪馬台国近畿(大和王朝)説では、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)になります。
邪馬台国=大和王朝説は大変なパンドラの箱でして、当時の人々が呪術を尊び怖れを抱いてた事。
神社で言う巫女(女子)と神主(男子)の立場が逆だった事(呪術者である巫女の方が上位)
卑弥呼が日本を(頼まれて)統一した初の天皇に当る人物だった事。古代の皇統が母系だった事。
などが明らかになり、証明出来れば既存の歴史は全部書き換わってしまいますね。楽しみです^^
#550[2014/08/04 00:44]  sado jo  URL 

Re: 月歩さん COありがとね^^

> 呪術は=人の心理を操る魔術だったんだろうと思う。
> 現代知識のある人がソレを言葉にするのは難しいけれど、当時の人にとってあるべきものとして体感してたんだろう。

今の人も鬼門だの、吉日だの、何だのを気にするよね~
古代の社会は、そんな呪術や呪詛に彩られていたんじゃないのかな?
古代の天皇家はそんな呪術(倭人伝に言う鬼道)を操るシャーマン一族だった。
人々から崇拝されると同時に、大変怖れられていたんじゃないかな~
だって、逆らったら呪い殺されるかも知れないしね…やっぱ、怖いよ(笑)
#551[2014/08/04 01:06]  sado jo  URL 














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