シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

「▼地球年代記 ~カルマ~」
地球年代記 ~カルマ~ 小説本編

地球年代記 ~カルマ~ 第3話 「ベスの恋の物語」 (2)

カチンの森

 一度休暇で大尉の故郷に帰った時、大尉に結婚の話が持ち上がった。相手は良家の令嬢だった。
 二人は楽しそうに並んで話をしながら庭を散歩していた。さすがにこの時はベスも嫉妬してしまった。
 ベスはつい「ワンワン」と唸り声を上げて吼え、大尉にこっぴどく叱られた。この時だけは捨てられたと思ってひどく落ち込んだ。
 けれど、大尉はせっかくの縁談を断った。戦局はドイツにとって悪化の一途をたどりつつあり、大尉は覚悟を決めていた。
 自分の幸せのためだけに、彼女を戦争未亡人にはしたくなかったのだろう。
 そんな心のやさしい人だった。軍服とコートの良く似合うハンサムな軍人だった。

 オシフィエンチムの町はまだ硝煙の匂いが立ち込めていて、激しい戦闘で焼け焦げた建物が燻っていた。
 いつも大尉と一緒に乗っていたジープの匂いをたどり、ベスはようやくオシフィエンチムの駅までたどり着いた。
 駅の周囲をあちらこちら嗅ぎ回って、ベスはやっと駅の空き地の片隅に、ポツンと立っている新しい十字架を見つけた。
 そうしてその周りに、微かにだが、間違いようの無い大尉の匂いを嗅ぎ当てた。
 早速ベスは辺りを見回して、大尉の姿を探したが、大尉らしい人はどこにも見当たらなかった。
 目の前には、かってユダヤ人の捕虜をアウシュビッツまで運んでいたオシフィエンチム駅の駅舎があった。
(きっと、ここが大尉の新しい家なんだ。ここに引越したのか。でも何で私を置いて行ったのだろう?)
 ベスは大尉が自分を置いて出て行った事を不思議に思った。そんな彼女には大尉の運命などは知る由も無かった。

 進撃してきたソ連軍とドイツの守備隊は、アウシュビッツで激しい銃撃戦を展開した。
 すでに、ソ連軍が来ると言う情報を掴んでいた将軍や上級将校たちは、いち早く持ち場を捨てて逃げ去っていた。
 命令系統も無いまま大尉は部下を率いて、圧倒的に優勢なソ連軍に立ち向かったが、すぐに形勢不利になって追詰められた。
 まもなくドイツ守備隊は総崩れとなり、大尉は僅かの部下を連れ、ジープに乗ってやっとの思いでアウシュビッツから逃げ出した。
 そうして、オシフィエンチムの駅まで逃れた大尉は、部下と共に列車を奪ってドイツ本国への脱出を図ろうとした。
 だが、駅の構内でソ連兵と銃撃戦になり、大尉は部下と共に射殺され、遺体は駅の片隅の空き地に埋められたのだった。

 だが、そんな事情はベスには分からなかった。大尉の匂いがするのだからここが大尉の新しい家に違いないと彼女は思った。
(きっと大尉はどこかに出掛けているのだ。帰って来るまでここで待とう)
 ベスは、オシフィエンチム駅の空き地の片隅に立つ十字架の下に座って、大尉の帰りを待つ事にした。
 二日経ち、三日が経ち、一週間が過ぎたが大尉は帰って来なかった。でも、ベスは辛抱強く待ち続けた。
 ナチス親衛隊将校ハンス・ヨハンセン大尉が、もうこの世の人で無い事などベスには分かろうはずも無かった。
 アウシュビッツのユダヤ人強制収容所が解放されてからと言うもの、オシフィエンチム駅はたくさんの人が往来していた。
 本国から着任してくるソ連兵。新天地を求めて旅立つ収容されていたユダヤ人たち。クラクフの街に買出しに行く地元の人たち。
 そして、ソ連兵に銃を突きつけられて、ソ連本国に移送されていく捕虜になったドイツ兵の姿もあった。
 ベスはそんな人々の姿を眺めながら、昼も夜もじっと大尉の帰りを待った。

 お腹が空くとゴミ捨て場に行って、オシフィエンチム駅の警備についているソ連兵たちが食べ残した残飯を漁った。
 長い戦争が終って間も無い頃で、誰もが食べ物に困っていたが、戦争に勝ったソ連兵たちは食事を余すほどの余裕があった。
 でも、駅のゴミ捨て場からソ連兵の食べ残しを漁るのも、ベスにとってはとても難しい事だった。
「こら~!お前か~…いつもゴミを食い散らかしている野良犬はァ!」
 見つかったが最期、鬼のような形相をしたソ連兵たちが棒切れを振り回して追い掛けて来る。
 一度など、食べている最中に警備のソ連兵に棒切れでひどく背中をぶん殴られた。
 それでも、食べて生きて行かなければ大尉に会う事はできない。ベスはソ連兵の仕打ちに耐えながらひたすら大尉を待った。
(大尉さえ帰ってくれば、あの人たちを叱ってくれるに違いない)ベスはそう信じていた。

 それから一月が過ぎた頃、杖をついた一人の老婆が足を引き摺りながらベスの傍にやって来た。
「おや、お前さんも独りぼっちかい?」手にしていたバスケットを地面に置いて、老婆はそう言った。
「クゥ~ン…」
 ベスは老婆を見上げた。すっかり白くなった頭にスカーフを巻いた、やさしそうな目をしたお婆さんだった。
「そうかい、そうかい、あたしも独りだ…亭主は空襲で死んじまうし、大事な一人息子は兵隊に取られちまうしねぇ~」
 そう言うと、老婆は痛い足をゆっくり屈めながら、ベスの隣に座って彼女に話し掛けて来た。
「何でも戦争に負けた時に、捕虜になってロシアのカチンってとこに連れてかれたそうなんだが、そっれきり帰って来ないんだよ」

1940年 ソビエト連邦の共産党書記長・スターリンは、カチンの森で、連行したポーランド人捕虜と民間人22,000人を虐殺した。

「いやな世の中だね~」
 そう言いながら、老婆は一人息子が去って行った遠くの空を見上げてため息を付くと、ベスの方に振り向いた。

~続く~

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~ Comment ~


ナチス親衛隊といえば、ラインハルト・ハイドリヒ、アインザッツグルッペン、ユダヤ人を100万人虐殺、を連想しますね

暗殺されたようですが、彼の「ボクがやらなければならない。ほかの奴らがやると、自分の私腹を肥やすか組織を濫用するかしかないから」という言葉には共感できるものがあります
#658[2014/08/31 22:20]  blackout  URL 

Re: blackoutさん COありがとうございます^^

あの激動の時代に生きた青年たちは、本当に純粋で真面目だったと思います。
私は若い頃、2.26事件を起した青年将校達の心情がとっても大好きでした。
でも、彼らの憂国の真心は穢い政治家に利用され、戦争の悲劇を招きました。
アラブのISISやタリバンの青年達は、純粋な情熱で闘ってるんだと思います。
でも、その青年の真心が、果たしてアラブの民衆の幸福になってるかのどうか?
人を幸せに出来なければ、2.26の青年将校達同様、無念な犬死に終るだけです。
自分のした事がどんな結果に繋がるのか?青年はもっと真剣に考えるべきです。
残念ですが、青年の美しい真心と情熱だけでは世界は変えられません。
と、言って諦めて無気力になってもいけない。
決して大人の悪癖に染まらず、いつも未来を指向して欲しいと願ってます。
#659[2014/09/01 14:37]  sado jo  URL 

昔はとても若い年齢でも親同士の関係で
結婚などあったそうですね。
お互い結婚式当日まで顔も知らないというのを
見て驚きました。
結婚のあり方が今では随分変わりつつありますね~

やっぱりワンちゃんは賢いのですね。
空腹にも耐え嫌な人間にも耐えずっと待ち続けるのですもの。

戦争で夫や息子までとられてしまった女性も
昔ではほんと普通にあったことなんですよね。

大事な人と別れなければならないなんて
ほんと耐えられないです。。。
#660[2014/09/01 16:59]  yume-mi  URL  [Edit]

Re: y様 COありがとうございます^^

数十年前の日本では、結婚は親や親族が決める事が多かったそうです。
今の若者は自由ですが、婚活しなきゃならないほど相手探しが大変な様ですね。
待ってればもれなく当るのがいいのか?自力で相手を探すのがいいのか?
こればっかりは何とも言えません(笑)

ホームレスに飼われてる犬を見た事があります。
他にもっと裕福な飼い主もいるのに、犬にとってはその人が一番なんですね。

国が起した戦争で、死に別れたり、生き別れになった人の話を随分聞きました。
心の傷は死ぬまで癒えない様です…国家って何なんだろうな~…と思いました。
#661[2014/09/01 17:43]  sado jo  URL 














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