シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

死とは何か?

リトル・ブッダ ~ある少女の涅槃~

リトルブッダ

助かる見込みの無い神経の難病に侵された5歳の少女が、冷静に自分の道を選択し、従容として逝きました。

「病院でなく天国へ」 5歳の少女が選んだ最期 (CNNニュースのリンク)

「これは涅槃だ!」上のCNNニュースを見た時、とっさに頭に浮かんだのは釈迦の涅槃に入る姿でした。
涅槃とは、この世の一切の執着から解き放たれて、最高の境地に達した者だけが死に際して現す姿であります。
生じる事はそもそもが死の原因であり、人間を始めとする全ての生き物は、生まれた時から死に向かって歩み始めます。
生きとし生ける者は、生を維持する為に外界のあらゆる事物を取り込み、その過程で己我(煩悩)を形成して、生に執着します。
生は、自身の肉体を含む外界との接触無しには存在せず、故に生とは絶え間のない変化の連続であり、そこに安定はありません。
己我は、自身に好ましい物を取り込もうとし、不快に感じる物を排除しようとします。これがこの世における争いの根本原因です。
人間に己我が無ければ、欲望も無く、痛みも苦しみも無く、好き嫌いも無く、争う理由も無く、極めて安定した状態でいられます。
しかし、人が肉を纏ってしまった以上、生を維持する為には己我は切離せず、煩悩を持つが故に人は生涯に渡って苦しみ続けます。
従って、死とはある意味、強制的に己我を断ち切り、人を苦しみから解放し、安定状態に至らしめる生命の変化だとも言えます。
けれども、人は死を恐れます。名前も記憶も失い、己我が後天的に得た全ての情報や、肉体が無に帰してしまうのを恐れるのです。
これが生への執着です…解脱とは(廃人と言う意味では無く)生きながら己我を脱し、死と同じ安定状態を獲得する事を言います。
つまり、悟達した人にとっては生も死も同じ状態であり、同じ状態であるからには、特に死を恐れる必要も無くなる訳です。

上にリンクした「ジュリアナ・スノーちゃん」が母と交わした会話には、その解脱した者の心境がよく現されています。
神を語るのも、天国を語るのも、確信に満ち溢れていて迷いが無い…その言葉は慰めでも無く、洗脳されて言っているのでも無い。
ジュリアナちゃんの言う神や天国は、一般のキリスト教徒が考えている、自身の外部に存在する神や天国とは根本的に異なります。
それは彼女自身が内包しているもので、彼女は自身の中にキリストの存在を確認し、天国と言う世界があるのを知っているのです。
それは生命宇宙観とも言うべき解脱の境涯なのですが、僅か5年の生で得た拙い言葉では、人に伝えられない境地だったはずです。
それでも、解脱の境地に達した彼女は、逆に死にゆく自分を悲しむ母親を慈しみ、一生懸命教え諭している風にも見受けられます。

ジュリアナちゃんが解脱の境地に至ったのは、幸か不幸か、死に至る神経の病と言う環境下に置かれたのが原因だと思えます。
手足も動かず、一人で食事も取れず、寝たきりだった彼女は、小さな頭で自分の置かれた状況と周りの小さな世界を観察しました。
そして、自分が親を始め多くの人々に世話されて生き、空気や水や、あらゆるものに支えられ生かされている事を感じ取りました。
終始受身だった事が、彼女の感性を磨き、全てのものへの感謝の念が生まれたのです…無力だった事が解脱への近道になりました。
弱った彼女の細胞は、貪欲な欲望を発せず、肉の煩悩が最小限に抑えられて、生を維持するだけに留められたのも功を奏しました。
解脱の境地に至るには無為である事が絶対条件であり「俺が…」「俺は…」の能動は、余計に煩悩を煽って苦しみを増すだけです。
あるものをあるがまま(実相)に見て、あるがままに受け取り(恩恵)受け取ったままに感謝する…それが悟りに至る極意なのです。
従って解脱とは、知識でも無く、年齢や経験でも無く、頭の良し悪しでも無く、男女の性別や地位に依存するものでもありません。
ただ、感性のみが解脱を齎します…ここに、幼い5歳の女の子が釈迦と同じ「ブッダ」の境地に達した秘密があるのです。
(仏教で言うブッダとは、釈迦個人を指す名称では無く、解脱の境地を得た全ての聖者を指して、ブッダと呼び習わします)

人の一般常識から見れば不幸な出来事ではありますが、ジュリアナちゃんの母親と父親は、稀に見る幸運な人だったと言えます。
この人達は、知らずと釈迦と同じ境地を得たリトルブッダを目の当りにし、その言葉を聞き、聖者の涅槃に立ち会えたのですから。
人が解脱の境地を得た聖者に巡り会う事は万に一つも無く、ましてや、ブッダの涅槃を見るのは皆無に等しい出来事だからです。
身を持って親を諭し、多くの人々を教え導いて、この世から去って逝ったリトルブッダは、いったいどこへ行ったのでしょうか?
次回は、ジュリアナちゃんの身に起きた解脱を語りたいと思います…とても自分の拙い感覚と言葉で表せるものでは無いですが。

~続く~


在りし日のジュリアナ・スノーちゃん (CNNニュース)

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死を間近に控えたジュリアナちゃんは、なぜ病院で無く、自宅での自然死を望んだのでしょうか?それには2つの理由があります。
まず、僅かな感覚が残る肉の身を、有無を言わさぬ医療機器などの治療でかき乱されて、穏やかな涅槃を阻害されたく無かった事。
次に、大切な縁(えにし)…この世で縁を繋いだ親などの目の前で、身を持って涅槃を現じて見せる事で、縁ある人々を教え導く事。
己我に囚われ、それを自分だと思い込んでいる縁故ある人々に、己我は自分自身では無く、死は恐ろしいものでは無い事を示す。
例えば「たった5歳で」とか「美味しい物も食べられずに」とか、周りの人が彼女を憐れむのは、それ自体が己我の現れなのです。
そうした諸々が生への執着を作り上げ、煩悩となって人を苦しめます。絶対的安定境地を得た彼女から見れば、構造は逆なのです。
移ろいゆく生の諸々に執着し、それにしがみ付いてる人々こそが哀れな存在であり、慈悲をもって救わなければならない対象です。
彼女はその為に隔絶した病院で無く、自分に縁のある親や、集まって来る人々を少しでも救済できる場所を選んだのだと思います。
 
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環境は人を変える。これはその究極の一ですね。
人生とは常に勉強、教育だと思います。学問が全てではありません。
環境と感受で良いほうへ変えたいならどうすべきかを考えるのも面白いですね。
最期まで生に執着してもがき続ける生き方も否定はしませんが
そろそろこの国は若い芽を暗いところから出してほしいものです。
#4444[2016/06/28 09:47]  西條すみれ  URL 

Re: すみれ様COありがとうございます^^

> 環境は人を変える。これはその究極の一ですね。
> 人生とは常に勉強、教育だと思います。学問が全てではありません。

ビデオを見ても、とても死にゆく子とは思えないくらい生き生きとしてます。
死を目前にして、非常に落ち着いているし、まったく迷いが無い様に見える。
環境と自らの感性で何かを掴んだんでしょうね。素晴らしい悟りの境地です^^
#4445[2016/06/28 13:10]  sado jo  URL 

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#4446[2016/06/28 17:54]     

Re: m様COありがとうございます^^

プロジェリア(早期老化症)で亡くなったアシュリー・ベギーちゃんもそうでしたね^^
人から見れば、不遇に見えますが、文句も愚痴も言わずに短い命を悠々と生きて逝った。
何が違うんでしょうね?彼女達にははっきり見えていたんじゃないのかな?命の本質が。
明るかったし、執着も無かった。周りの人にいつも優しかったし、全てに感謝していた。
まるで仏様…と言うより、仏そのものなんですね。その境地(解脱)を次回に語ります。
自分が嫌な思いをするのがイヤ…と言う主観は、まさに己我そのものなんですけどね(笑)
#4447[2016/06/28 18:41]  sado jo  URL 

こんばんわ
ジュリアナちゃん凄いなと思いました
#4448[2016/06/28 19:55]  ネリム  URL  [Edit]

見れる範囲で見て自分で判断して決める、
周りからすれば生きていて欲しいと思うのが一般的な感覚ですが、
小さい子であっても命の使い方だけは本人しか決められませんしね。
#4449[2016/06/28 20:01]  ツバサ  URL 

Re: ネリム様COありがとうございます^^

> ジュリアナちゃん凄いなと思いました

たった5歳で、ちゃんと自分の道を選んで、迷わずに涅槃に赴きました。
生前はとても明るく、誰にも優しい…まもなく死ぬ子だとは思えないほどだったとか。
何がジュリアナちゃんをそうさせたのか?次回に、彼女の悟りの境地に迫ってみます^^
#4450[2016/06/28 20:22]  sado jo  URL 

Re: ツバサ様COありがとうございます^^

> 見れる範囲で見て自分で判断して決める、
> 小さい子であっても命の使い方だけは本人しか決められませんしね。

いわゆる尊厳死ですが、小さな子に自分の死に方を選ばせるのは、酷でもあり賛否両論あります。
ただ、ジュリアナちゃんは、すでに「神」の存在を知り「天国」がある事を知っていたのです。
キリスト教的表現だとそうなりますが、それは自分が何者で?何処から来て、何処へ行くのか?
と、言う事を達観していた事になります。仏教で言う悟りの境地とは、まさにそれなのですね^^
#4451[2016/06/28 20:37]  sado jo  URL 

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#4454[2016/06/30 16:56]     

Re: m様COありがとうございます^^

神は人が勝手に作ったもので、宗教は権力の道具に使われる悪しきもの…唯物論ですね。
では、その人は誰が作ったのか?何処から生じたのか?なぜこうして生きているのか?
目にも見えず、科学でも証明出来ない命や心が存在すると…なぜ人は信じているのか?
それを感じるから…世界は人が観測した時に様相を現し、その存在が確定する(量子論)
もしや、命や心はこの世界と異なる、別次元のクラウド上に存在するのかも知れません。
人は、5感の僅か限られた範囲の知覚しか無く、世界の96%は未だに未知のままです(笑)
#4455[2016/06/30 18:14]  sado jo  URL 














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