シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

随想/論文集

個人より氏族(家門)を優先する日本人の精神風土の形成過程 シリーズ⑦

シリーズ⑦
聖徳太子騎馬像 (数ある太子像の中で一番真実を伝えている。騎馬高句麗族である太子は乗馬に秀でていた。また、太子や蘇我氏も含めた高句麗族は騎馬民族らしく「馬」を冠した名前が多い。よほど馬を大切にしていたのだろう)

当時は国を治める事を「祭り事」と言い、政治を執り行うのは祭祀一族だけの特権で、如何な有力豪族であってもその権利はなかった。
そこで、自分が倒した天皇の特権や権威を家門ごと奪った…しかもその奪い方たるや、前天皇に繋がる一族を女子供に至るまで皆殺しにすると言う凄惨なものだった。そして、さも自分が倒した祭祀一族の血脈であるかの様に偽装して正当性を主張したのである。
それら当時の国主の座を巡る有力豪族の内紛の痕跡は至る所にあり、考古学上の発掘調査からも明らかになっている。また、古代から日本人が家門の権威に拘った理由も、後の武家政権の征夷大将軍達が血の繋がりがないにも関らず、全員「源=清和源氏」の家系であると名乗った事実を見ても分かる。

6世紀に入って、豪族達の余りのひどさに業を煮やした高句麗系皇室の皇族「厩戸豊聡耳命=聖徳太子」は宗教政治改革に乗り出し、仏教を奨励して「和を持って尊しと為す」から始まる17条憲法を制定して内紛を収めようとした…だが、彼の改革は失敗に終わってしまった。
なぜなら、聖徳太子が世を去るやいなやその一族は豪族達に皆殺しにされてしまったからだ…当時の皇位を巡る権力争いが如何に熾烈であったかが窺い知れる。実際、天皇の座と言うのは我々が考えるほど安泰なものではなく、常に危険と隣り合わせだったのである。
そんな状況が一変したのは、7世紀になって「天智天皇」と「天武天皇」と言う絶対的権力持つ天皇が相次いで出現した事による。
はて、なぜ二人は並み居る豪族達を抑えて強権を奮えたのだろうか?…それは日本に危機的な外圧が掛かったからである。その為に豪族達が強いリーダーを求めたのであった。
この辺を見ると、外圧の危機感から独裁的な強いリーダーを求める日本人の精神性が昔も今も変わらない事がよく分かる(笑)
そして、日本史で最も面白い時代は、外圧によって初めて確固たる天皇制が確立したこの7世紀の転換期なのである…日本と言う国号が生まれ、官製の歴史書が編纂され、日本人が初めて日本人である事を自覚したこの時代の話は後でじっくりしたいと思います。

さて、なぜ治安の良さどころか、古代の治安の悪さばかり目立つ話をしたかと言うと、そこから現代にまで受け継がれる特異な日本の社会構造が生まれたからである。
日本の各地には今も氏神様なるものが祭られていて夏祭りや秋祭りが開催される…氏神とはかってその地を治めた豪族の始祖であり、地域一帯に住まう者はその豪族の一族とされていた。実際、全国の氏神社は相当な数に上り、古代の日本では如何に多くの豪族が割拠していたかがよく分かる。
さらに、その地域の誰かが何か仕出かすと全体が咎められ、一族としての責めを負わされた。時には前述した如く女子供までが粛清された。いわゆる連座制だったのである…最近の考古学調査によって古代の日本社会で何があったかが明らかにされている。
そこで、連帯責任を取らされて粛清されるのを避ける為、幼い頃から危ない考えを持たぬ様に子供を養育し、一族同士で互いを監視し合う様になった…風変わりな者は村八分にして制裁を加え、時には一族から勘当されて追い出された。又、事を起こすに当っては、わざと妻子を離縁して類が及ばぬ様に図る事もあった。全ては一族(家門)の滅亡を防ぐ為であった。
「出る杭は打たれる」「家名に泥を塗らない」お上の顔色を窺い個人を押し殺して家を重んじる日本人の資質はこうして作られていった。
さらに現代の日本に見られる慣習もこの頃に生まれた…如何な有力豪族であっても皇位を狙って失敗すれば一族は皆殺しになる訳である。ならば事前に多数派工作をしておく必要がある。各地の豪族達を手なずけて派閥を作るにはどうすればよいか?利益を供与する事である。
今も政界を始めとする各界に見られる毎度御馴染みの芸風である…さぞ、当時の豪族達も政治よりそっちの方に忙しかった事だろう(笑)

そうして苦労して天皇になった所で自分の思い通りになる訳ではなく、派閥を形成する豪族達に気を遣わなくてはならない。一蓮托生なのだから物事を執り行うに当っては皆で協議した上で合意を得なければならない。実に面倒臭い社会である…だが、その反面良い事もある。合議制によって物事を取り決める日本では、外国にしばしば見られる様な独裁的暴君は出現しなかった。歴史を見てもヒトラーの様に悪い意味での跳び抜けた暴君は一人もいない。出る杭は…で討たれた織田信長でさえ人柄は良く家臣達に愛されていた。
余談だが「東京裁判」の被告達を見たある判事が呟いたと言う「この人達は明らかにナチスとは違う」と…東条英機以下の被告達はみんな「何かを期待されて」「追い詰められて」「協議した上で合意して」「已む無くやった」のであろう。やった事は悪かったが如何にも日本人らしかった。

~続く~

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~ Comment ~


遺伝子

面白い分析ですね。
日本人の持つ特質はひょっとしたら生物学的側面からも
アプローチできるかもしれません。
最近の研究で神経伝達物質のセレトニン系のS遺伝子を
を持つ人は緩和で臆病で神経質な傾向があるそうです。
日本人の98%、アメリカ人の68%がこれを持っているそうです。
逆に攻撃性や好奇心に関与するドーパミン系遺伝子もあり、
これはアメリカ人が優位に持っています。
こういった生物学データも治安の良さに関連があるかも。
#7115[2018/04/21 07:43]  エリアンダー  URL 

Re: エリアンダー様COありがとうございます^^

> 面白い分析ですね。
> 日本人の持つ特質はひょっとしたら生物学的側面からも
> アプローチできるかもしれません。

各地から流れ着いた血が混ざってできた日本人には特定の遺伝子傾向はないはずです。
ただ、生活環境による遺伝子変化はあります…総じて食べ物の少ない地域に生息する民族は獰猛で、戦争のやり方も残虐であり、食べ物に恵まれた地域に住む民族は柔和ですね。
してみると、食料を求めて移動を繰り返した白系ゲルマンの流れを汲むアメリカ人は攻撃的な性質があり、自然に恵まれた地域で農耕を営む日本人は融和的性質なのかも知れません。
ただ、同じ民族でも地位や権力を持つ者の方が攻撃的な傾向を持ちます…政治家を見ても分かる通り、周りから常に立場を脅かされる恐怖感があるからです。
なので豪族が群雄割拠する日本の古代社会は、非常に治安が悪かった事が推測できます。
#7116[2018/04/21 11:12]  sado jo  URL 

あとは、日本列島が周囲を海に囲まれているから、というのもあるかもしれませんね

村八分されてその土地を追い出されても、行き着く先は、最終的には大海原なわけで、どこにも行けないので、むやみやたらと敵を作ってしまうと生き抜く術がなくなってしまう

その結果、メンドくさい根回しが必要になるんかなと思ったりしました

その点、大陸の国だと、合わなきゃ合うところに移動すりゃいんじゃね?っていう感じになるのかなと
#7117[2018/04/22 20:18]  blackout  URL 

イエスと同様に馬小屋で生まれたとかいう厩戸皇子が
「和をもって貴しとなす」と教えた(とされる)のは、
臣民に「和」が足りなかったからでしょうから、
逆に考えると、群雄割拠や下克上の状態が酷かったのかもしれません。
しかし、そうなら世界の古代民族は大抵みなそうじゃないですかね。
降伏しない敵民族の一族郎党女子供老人まで皆殺しにするというのは、
古代ユダヤ人やモンゴル人、アッシリア人(?)もそうじゃなかったですか。
彼らも馬を大事にして騎兵戦に用いました。

上が下を治めるさいには、権威を重んじる思想があればやりやすいので、
だから天皇とか源の姓を有難がる考えすなわち「忠誠」を重んじる尊重思想が作られた。
西洋の「王権神授説」も神を有難がる考えの上にある権威尊重の政治思想だが、
日本には唯一神信仰がなかったので、その唯一神の代わりになるものが天皇であり、
源の氏であったとは考えられないかと、ちよっと思いましたが。
#7118[2018/04/22 21:11]  ☆バーソ☆  URL  [Edit]

Re: blackout様COありがとうございます^^

> 村八分されてその土地を追い出されても、行き着く先は、最終的には大海原なわけで、どこにも行けないので、むやみやたらと敵を作ってしまうと生き抜く術がなくなってしまう
> その結果、メンドくさい根回しが必要になるんかなと思ったりしました

様々な民族が一つの島に閉じ込められて一緒に暮らさなければならなくなった。
血で血を洗う抗争の末に、知恵を絞って天皇制(武力ではなく祭祀による統治)が生まれた。
ところが、今度は野心を持つ豪族達が天皇の位を巡って争いを始めた…と言う事でしょうね。
その中で根回し・談合など毎度お馴染みの利益分配が行われ、現代まで連綿と続いてるのが日本です…実に面倒臭い社会ですが、同じ島で互いに暮らしてゆく為には妥協が必要だった。
ちなみに、昔は親が結婚相手を決めてましたが、それも他の一族(家)と結んで勢力を拡大したり、敵方と和合したりする為の重要なしきたりだったのだろうと思います(笑)
#7119[2018/04/22 22:25]  sado jo  URL 

Re: パーソ様COありがとうございます^^

> 西洋の「王権神授説」も神を有難がる考えの上にある権威尊重の政治思想だが、
> 日本には唯一神信仰がなかったので、その唯一神の代わりになるものが天皇であり、
> 源の氏であったとは考えられないかと、ちよっと思いましたが。

馬小屋と言うと今は下賎に聞えますが、古代は高貴さを表わし(王侯貴族は貴重品である馬に乗って戦い、平民は歩兵だった)ます。騎馬民族の王子だった釈迦にも厩戸の伝説があります。
統治者には権威が必要で、キリスト教社会の西洋では教皇が王や皇帝に冠を授けました。
日本では神より血筋が重んじられ、征夷大将軍は源姓でないとなれなかった。だから将軍達はみんな家系を偽装しました…ちなみに北條氏は平氏だったので将軍にはなれず、清和源氏の家系を継ぐ貴族を傀儡として将軍に据え、裏側で執権として政治を操りました(笑)
天皇の由来は、国と言う形で初めて日本を治めた祭祀一族から出ていると思います。一族の象徴は「魏志倭人伝」の卑弥呼な訳ですが、それは中国人が付けた名で、本名は一族を表わす「****之尊」なる12文字位の長い名だったでしょう…この卑弥呼なる巫女が後に神格化されて「天照大御神」となり、天皇家の祖として歴史書に随所に出てきます。そして、彼女の家系でなければ天皇にはなれなかった…そこで、有力豪族が前天皇の一族を根絶やしにしてその権威を家系もろとも奪って、自分こそ天照大御神に連なる家系であると名乗った訳ですね…和名:高天原(中国名:邪馬台国)と卑弥呼の墓稜が考古学調査によって発見される事を祈ってます。
#7120[2018/04/23 11:04]  sado jo  URL 

こんにちは!いつも、ありがとうございます。

わたしたちの元住まいは、推古天皇と太子が造った、街道に面しています。
別名、サヌカイト道と、地元では言います。
高麗人などの渡来人がいたことで、日本最古の産業道路と言われたのだなって思います。
南西には当麻もありますし。(^^♪

血生臭い話はそれこそ、資料館にもわんさかありますが、
いいお話も。(^^♪
#7121[2018/04/23 16:27]  窓  URL  [Edit]

Re: 窓様COありがとうございます^^

> わたしたちの元住まいは、推古天皇と太子が造った、街道に面しています。
> 高麗人などの渡来人がいた事で、日本最古の産業道路と言われたのだなって思います。

有力豪族達が天皇の位を争って血みどろの抗争を繰り広げていた6世紀の日本。
聖徳太子は飛鳥から斑鳩に皇宮を移して、豪族達の権力争いから距離を置きました。
そして世界に門戸を開き、交易を拡大して日本を豊かな国にしようとしたんですね。
だが、太子の力が増すのを恐れた豪族達は側近である蘇我氏を抱き込み、一族を根絶やしにして別の天皇を立てました…よほど都合が悪かったのか?古事記にはこの顛末が記載されていません(笑)
#7122[2018/04/23 17:54]  sado jo  URL 














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