シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

「▼まぼろし」
まぼろし 小説本編

まぼろし 第2話 「THE NAME (その名の由来)」

ピアニスト

<オリジナル/ファンタジー/ミステリー>

人の目はすべてを見ている訳ではありません。この世には人に見えない世界があります。
これから、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間と空間に入って行くのです。

「誰だ~っ!ピアノを汚したヤツは~」
『母と子のピアノ演奏会』の会場に男の怒鳴り声が響き渡った。
「あぁ、すみません…うちの子が触った時に、手にお菓子がついてたみたいで」
 子供の母親は、あわてて頭を下げて男に謝った。
「チッ!だからガキは嫌いなんだ…汚ねぇ事をするから」
「申し訳ありません。よく言って聞かせます」
「こんなピアノじゃあ演奏にならん。ヤメタ~!」
 男は憮然と言って吐き捨てると、予定していた演奏をやめて会場から出て行ってしまった。

 ここに、一人の才能のある若いピアニストがいた。
 プロとしてまぁまぁ名前も売れて、ある音楽事務所に所属していたが、彼には一つだけ欠点があった。

 ある日、彼がコンサートを終えて楽屋でくつろいでいると、中年の女性が花束を持ってやってきた。
「素晴らしかったですわ~…うっとりしました。今度演奏される時は、また聴きにいかせていただきますわ」
 そう言いながら、その太った女性は彼に花束を手渡して楽屋を出ていった。
「もう、二度と俺のピアノを聴きに来るなっ!…ドブスの顔なんぞ見たくもない」
 彼は女性から受け取った花束を、ゴミ箱に投げ捨てた。

 この若いピアニストは 汚れたものや、醜く見えるものを極端に嫌悪していた。
 音楽は美しいものだ…だから演奏する者も、聴く者も、自分の周りはすべて美しくあるべきだと思っていた。

 そんなエゴイストでナルシストの若いピアニストに、突然の不幸が訪れた。
 ある日の事、まったく耳が聞こえなくなってしまったのだった。
 ピアニストならずとも、音楽家にとって音を失う事は命を失うにも等しい。
 あわてて補聴器を買って来て、耳に着けてみたがまったく何も聞こえなかった。
 あちこちの医者を訪ね歩き、大学病院まで出掛けて診察を受けたが、原因はおろか病名すらも分からなかった。
(もう、ピアノを弾く事はできないのか?)彼は絶望に苛まれながら、ただ呆然と楽譜を眺めるばかりだった。
 そうして、来る日も来る日も楽譜を抱えながら、他人がやっている演奏会場の周りを恨めしそうにうろついた。
(惨めだ~…こんな醜い俺は生きていたってしょうがない)彼はとうとう死ぬ事を考え始めた。

 ふらふらしながら、人気のない夕暮れの公園にたどり着いた彼は、絶望に打ちひしがれていた。
 そして、ラフマニノフのピアノ協奏曲の楽譜と筆談用のノートを傍らに置き、ベンチに腰掛けてうなだれた。
(首吊りは死んだ後が醜い。リストカットは痛いし、ガス自殺は苦しそうだ…睡眠薬なら苦しまずに美しく死ねるかも知れない)
 あれこれと死に方を考えながら、ふと見上げた公園の水銀灯には、たくさんの虫が群がって飛んでいた。
(飛んで火に入る夏の虫かぁ~…まるで醜い俺みたいだな。いっそ虫に生まれていたら死に方に悩む事もなかっただろう)
 ぼんやりしながら眺めてみると、水銀灯の横の木には一匹の大きな甲虫が止まっていた。
(カブト虫かな?…そう言えば、この公園には甲虫が好むナラやクヌギの木が植えられている)
 彼は水銀灯から目を逸らし、再びうつむいて自殺する方法をあれこれと考えた。
 そうしているうちに、耳は聞こえなくとも、何だか傍らに誰かがいる気配を感じた。
 顔を上げてみると、彼の前に黒いコートを着たみすぼらしい身なりの老人が立っていた。
 顔は醜く黒ずんでいて、曲がった背中には瘤のような物があり、まるで『ノートルダムのせむし男』のように見える。
(汚いジジイだなぁ!…何だってこんな時に俺の前に)彼は一目見るなり、目の前の老人に激しい嫌悪感を覚えた。
 ところが、そのみすぼらしい老人は、彼の気分などまったく意に介さずに、笑みを浮かべながら何か話し掛けて来た。
 ただでさえ醜いものを見るのが嫌な彼は、両耳を指で指し、首を振って自分は耳が聞こえないのだ…と老人に示した。
 それから、手の甲を上に向けて(あっちへ行ってくれ)と追っ払う仕草をした。
 それでも老人は、ニコニコしながら彼を見下ろしたまま目の前から動こうともしなかった。
 イライラした彼は、ペンを取り出して脇に置いてあった筆談帳に『邪魔だからあっちへ行け』と書いて老人に見せた。
 老人はそれを見ると、彼から筆談帳とペンを取って何事か書いて彼に見せた。
『君は今、絶望して死ぬ事を考えているね?』筆談帳にはそう書かれていた。
 見ず知らずのみすぼらしい老人に心の中を見透かされて、彼はいささかびっくりした。
『何であんたなんかに俺の気持ちが分かる?』彼はそう筆談帳に書いて見せた。
『そりゃぁ、分かるさ。まもなく死ぬ人の顔をしてるもの…ちょっと隣に座ってもいいかね?』
 彼はこんな薄汚い老人と同席するのは嫌だったが、仕方なく楽譜を間に挟んでベンチに座らせた。
 そうして、彼とこのみすぼらしくて薄汚れた老人との筆談が始まった。

『ほぅ~…音楽をやっているのかね?これはピアノの楽譜だね』老人はそう書いて見せた
『あんたみたいな人間に音楽が分かるのか?』彼はそう書いて答えた
『あぁ、素晴らしい曲をたくさん聞いて来たからね。君はピアニストなのかい?』
『少し前まではそうだった。大勢の観客の前でピアノを演奏していた…でも、もうだめだっ!耳が聞こえなくなったんだ』
『あぁ、それは気の毒に…それで絶望して死ぬ事を考えていたんだね』
『もう、一生ピアノを弾けない「聾唖」になった醜い俺は、死んだほうがよっぽどましだっ』
『君には耳が聞こえない自分がそんなに醜く見えるんだろうか?』
『あんただって同類じゃぁないか…背中の曲がったせむしのあんたも、聾唖の俺も、醜い体で生きていたってしょうがない』
『そうかね~…それじゃぁ、生きていなくてもいいような子に、君の親は何でわざわざ名前をつけてくれたのかな?』
『そんな事は俺の知った事じゃぁないさ。今更名前なんてどうでもいい!』
『人は自分が愛しく思うものには名前を付けるだろう。自分の子供にも、飼っているペットにも…愛情を抱くすべてのものに』
『そう言われてみりゃぁそうだが…こんな醜い身体になるんなら名前なんぞいらなかった』
『そんな事を言うもんじゃぁないよ…実を言うと、神も君に同じ事をされたんだから』
『何だってっ!…神が僕に何をしたって?』

この続きは <続きを見る> からご覧下さい。


『あぁ…君を深く愛しておられる神は、君に「聾唖」と言う名前をつけられたんだ。君のすこやかな成長を願ってね』
『あんた、頭がおかしいんじゃないのか?「聾唖」になって何がすこやかだ…苦しいだけじゃぁないかっ!』
『いや、違うよ…人は苦難と闘って、それを乗り越えないとすこやかには成長しない。神はその事をよくご存知なんだ』
『馬鹿馬鹿しい…こんな醜い身体ですこやかに成長なんかできるもんかっ!』
『そんな事はないよ。ええっと…確か昔、君と同じ名前を神から授かって、立派な人物になった音楽家がいたな~』
『へぇ~…「聾唖」になって立派な人物になるような馬鹿がいたなら、ぜひその名前を聞いてみたいね』
『俗世の名前はすぐに忘れるからなぁ~…あぁ、そうそう思い出した。「ルードヴィッヒ・ベートーベン」と言ったっけ』
『ルードヴィッヒ・ベートーベンだって!?』
『そうだよ。最近ではあれほど神に愛された人間はいなかったなぁ…神に名前を授かってから美しい曲をたくさん作った』
 彼は初めて、まじまじと隣に座っているみすぼらしいせむしの老人を見た。
『昔はね…美しいものは全部表に現れていた。ところが余りに美しいので、人はそれを巡って争い始めた。殺し合いまでしてね』
『確かに人は美しいものを見ると奪い合う…女でも、黄金でも、宝物なら何でもそうだ』
『あんまり人々がひどいんでね…神は本当に美しいものは全部内に隠されたんだ。人間には見えないようにね』
『あんたはいったい誰なんだ?』やっと、相手がただならぬ老人だと気づいた彼は尋ねた。
『あぁ、私はね。天使だよ…名前はガブリエルと言う』醜いせむしの老人はそう答えた。
『嘘をつけっ!…天使がそんなに薄汚れたせむしの老人であるはずはない』
『疑り深い人だな~…これでも昔、マリアと言う女性に「聖母」と言う名前を授けて上げた事もあるんだがね』
『聖母マリアだって~!…そんな馬鹿な?』
『しょうがないな~…それじゃぁ、証拠を見せてあげよう』
 そう言うと老人は立ち上がって、薄汚れた黒いコートを脱ぎ、上着とシャツを取ってベンチに置いた。
 裸になった老人の体は、胸からお腹にかけて、昆虫の蛇腹のように何段にも横に重なった筋が走っていた。
 そして、老人の黒々とした背中は二つに割れていて、せむしのように見えた瘤は、甲虫の殻羽根のように見えた。
『醜い姿だな~…何か重い病気を患って手術でもしたのか?』
『手術なんかしてないよ。これが本来の天使の姿だよ』
『嘘だっ!天使がそんなに醜くて汚い姿のはずがない…天使は色が白くって背中に美しい羽根が生えているんだ』
『ははは…それは人間が勝手に想像して描いた絵だよ…そんなに醜く見えるかね?じゃあこれではどうだ』
 黒々として醜い老人はそう言って笑うと、背中の殻羽根を左右に開いた。
 たちまち、その中から薄い幕羽根が跳び出して来て、彼の目の前にパアッ!と広がった。
 この世のものとは思えない美しい幕羽根は、七色の光を放ちながらキラキラと輝いていた。
(美しいっ!何て美しいんだろう)彼は余りの美しさに、ただ呆気に取られてその羽根に見とれた。
『分かったかね…本当に美しいものは内に秘められているって言ったろう』
 もう、すでに筆談ではなくなっていた。大天使ガブリエルの声は、じかに彼の心に聞こえていたのだ。
『君が望む美しい音楽も、君の心の内に秘められているんだよ。心で感じればこの世は本当は美しい世界なんだ』
 彼は言葉を失っていた。大天使ガブリエルの心の声にただただ感歎していた。
『君は神に深く愛されている人だ。だから、神は君に本当の美を与えるために「聾唖」と言う名前をつけて下さった』
『僕はこれからどうすればいいんですか?耳も聞こえなくなってピアノだって弾けないと言うのに』
『がんばって苦難を乗り越えなさい。大丈夫だ!…きっと神が与え賜うた名前が君を導いてくれる』
 そう言い終えると、大天使ガブリエルは、大きな羽根を広げて、彼の前から夕暮れの空に舞い上がった。
 そうして、キラキラと光る天上の羽根を輝かせながら、遠く茜色の空の彼方に消えて行った。
 彼はベンチの前に立ち尽くしたまま、大天使ガブリエルを見送った…その瞳からは涙があふれていた。

 それからの彼は、以前のように驕る事もなく、ただひたむきにあきらめていたピアノの練習に打ち込んだ。
 たとえ耳は聞こえなくとも、心の指でピアノを弾いた…そんな彼の心の内には美しいピアノの旋律が響いていた。
 そうして人が変わったように、汚いものや、醜いものを毛嫌いする事もまったくなくなった。
 以前の彼なら嫌がっていた「老人ホーム」や「身障者の施設」を積極的に慰問してはピアノを演奏した。
 親切で、誠実で、ひたむきにピアノを奏でる彼の周りには、たくさんのファンが集まるようになった。
 いつしか、彼は世界的に有名な「聾唖のピアニスト」になっていた。
 彼は「聾唖」と言う名前を授けていただいた神に心から深く感謝した。

 神は本当に美しいものは、人に見える表面には出されない。内にこそ神の真実は秘められているのだ。
 外見ばかりを見て人や物事を判断する者は、神の御心を知らない愚か者でしかない。

まぼろし 第2話 「THE NAMAE ~その名の由来~」(完)

今は亡き 金城哲夫先生を偲んで…

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*Edit TB(0) | CO(4)

~ Comment ~


sado joさん

こんにちは sado joさん。

教訓となるお話ですね。
私も美しいものが大好きで醜い物は眼にしたくないのですが
彼の 心の中 発する言葉は醜いですよね。
それに気付いてくれて良かったです。
私も美しい物は 内面にあると 肝に命じて…
でも外観の美しさも素敵ですよね…(笑)
#445[2014/07/10 13:01]  花音  URL  [Edit]

Re: k様 COありがとうございます^^

>私も美しいものが大好きで醜い物は眼にしたくないのですが
>彼の 心の中 発する言葉は醜いですよね。
>それに気付いてくれて良かったです。
>私も美しい物は 内面にあると 肝に命じて…
>でも外観の美しさも素敵ですよね…(笑)

以前、身障者の方々とお付合いしましたが、意外と心の美しい方が多かったです。
人は、美女や黄金や美しいものを巡って、醜い争いをするから、神は真実の美は内に秘められたのでしょう。
架上の醜いイエスの姿は、何を伝えようとしてるのか?人は良く考えるべきだと思います^^
#448[2014/07/10 16:43]  sado jo  URL  [Edit]

こんばんは。

とても心に残るお話でした。
私は知的障害の方々の介助支援の仕事をしています。
自分の心を飾ることをしない方々なので、こちらの作り物の笑顔や
優しさでは受け入れてもらえません・・・
ある時、子供の頃のように思いきり笑っている自分に
驚いたことがあり、素の自分を知ることがよくありました。


このお話のように、神様が良い機会を与えてくれたのかもしれません。


素敵なお話、ありがとうございました。

#530[2014/07/27 23:54]  月夜野  URL 

Re: t様 COありがとうございます^^

人が一番戒めなければならないのは「驕り」だと思います。

自分の方が強い。自分の方が優れている。自分の方が頭がいい…
その心が差別を生み、諍いの種になり、人を不幸にする元凶になります。
いつも威張ってる男子に言います「貴方はこの世に命を生み出せますか?」
さて、男の何処が優れてるのでしょう?腕力だけならゴリラの方が強い(笑)
#532[2014/07/28 00:54]  sado jo  URL 














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