シムーン第二章 ~乙女達の祈り~

特撮で有名な円谷プロの元スタッフのブログです。面白くてためになる「小説」や「お話」「詩」をお届けします。【通常ブログ画面】 からお入り下さい。

ゴジラの子守歌 第15夜 

▼ゴジラの子守歌

ゴジラ15

 二頭目のフーロンの化石は、タクラマカン砂漠からはるかに遠く離れた場所で発見された。
 そこはチベット高原の端に当たる青海湖の畔…揚子江や黄河の源流と言われる地域だった。
 チャン教授は、早速現地に飛んで発掘された化石を調べた。それは間違いなくフーロンだった。
 フーロンには他の恐竜にはない特徴が数多くある…まず、頭蓋骨の正面に並んだ眼窩が付いている事だ。
 骨格は、一見すると三畳紀に現れた二足歩行をするエオラプトルに似ているが、手が大きく身体はずっと小さい。
 そしてエオラプトルのように身体を前に倒して歩くのではなく、むしろ人間に近いチンパンジーのような前傾姿勢で歩いた。
 おそらく背伸びをしながら飛翔している昆虫を捕らえたのだろう。そのために大きな手には五本の指がついていた。
 手の平が内側を向いているところを見ると、捕らえた昆虫をリスのように両手で掴んで食べていたのだろうと思われる。
 はるか昔のジュラ紀に、器用に手を使って人間のような仕草をする生物がいた事はとても不思議に思える。

 チャン教授は、白亜紀のタクラマカンから新生紀のチベット高原に至るまでのフーロンの足跡を考えた。
 ジュラ紀の頃の中国はパンゲア大陸の最北端に位置し、その南にはロシアがあった。つまり現在とは位置が逆だった。
 朝鮮と日本はロシアの北に陸続きで繋がっていて、当時の東アジア一帯はパンゲア大陸の北極地帯に位置していたのだ。
 ただし、ジュラ紀の平均気温は現在より約20度も高く、北の最果てとは言っても気候は随分と暖かかった。
 だが高い気温のせいで海は荒れ、海辺は風速60メートルの暴風雨が吹き荒れ、10メートルを超える津波が押し寄せていた。
 その反対に、大陸の奥地に位置していたイギリスは、平均気温が50度を超える熱砂の砂漠で、草木一本生えていなかった。
 雨が降らずに乾燥した大地が広がる現代の中国西北部と、雨の多い湿潤なロンドンは真逆の気候だったのだ。
 しかし、海辺から一歩入った内陸は豊かな雨と高濃度の二酸化炭素に支えられ、シダやソテツの生い茂る熱帯雨林だった。
 水を満々とたたえた湖があちこちに点在し、大小の川が縦横に流れている…そこはまさに恐竜たちの楽園でもあった。
 そんな生態系の中にあって、牙や角もなく小さくて弱いフーロンは、森林の片隅でひっそりと群れで暮らす生物だった。
 けれどもパンゲア大陸は南北に分裂し、中国を中心とする東アジアは、時計回りにねじれながら回転し始めた。
 朝鮮と日本もロシアから分離して中国に追随するように移動し、それに伴って気候や植物相も大きく変化していった。
 タクラマカンの豊かな森林は次第に乾燥し始め、白亜紀の後期には食料を失った恐竜たちの熾烈な縄張り争いが起きた。
 生態系の弱者だったフーロンは当然の如くはじき出された…そこから彼らの生息地を求める長い旅が始まった。
 乾燥した砂漠を渡り山々を越える旅は何千万年も掛かっただろう…旅の途中で白亜紀末の大絶滅も経験した事だろう。
 そして、フーロンはついに分裂したパンゲア大陸の南端…南のゴンドワナ大陸との間にあったテチス海の畔にたどり着いた。
 こうしてフーロンはようやく安住の地を得たかに見えた…けれどもそれは束の間の安息に過ぎなかった。
 テチス海は造山運動によって海底から持ち上げられてヒマラヤ山脈となり、海は分裂して彼らは再び内陸へと押しやられた。
 この時分裂したテチス海が現在の地中海・黒海・カスピ海・アラル海…内陸なのに塩水湖である青海湖もそうかも知れない。
 なおテチス海は赤道直下にあったため、温暖な環境下でプランクトンを含む海棲生物が大量に繁殖したと言われている。
 周辺の生態系も豊かであり、それらの生物の屍骸が堆積してできたのがアラブからインドネシアをまたぐ大油田地帯なのだ。

~続く~

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ゴジラの子守歌 第16夜 

▼ゴジラの子守歌

ゴジラ16

 ヒマラヤの造山運動によって内陸に押しやられたフーロンを待っていたのは、過酷な生存環境だった。
 そこには、虎の先祖であるスミロドンや、狼の先祖であるアンドリューサクルスなどの巨大化した哺乳類が待ち構えていた。
 たちまち大勢の仲間が肉食獣の餌食となった。いくら背中についた剣状のヒレを震わせて威嚇してもまったく効果はなかった。
 小さくて弱いフーロンは青海湖の支流を伝ってひたすら下流に逃げた。その川こそが後の揚子江だった。
 青海湖の畔からさらに数千万年…6千キロに及ぶ長い逃避行の末、彼らはやっとの事で揚子江の河口にたどり着いた。
 けれどもそこは、一面に葦が生い茂る湿地帯だった…陸上生物にはおよそ棲むのが困難な土地だっただろう。
 ただ幸いな事には、フーロンの天敵である肉食獣はそんな湿地帯には入ってはこれなかった。
 彼らは工夫して葦の間に巣を構え、食性を変えて巻貝や海老を食べながらこの湿原での生活を始めた。
 暮らしにくい環境を克服したフーロンは次第に数を増やし、揚子江の下流域はやがて彼らの天国になった。

 ところがある日それまで見た事もないような生き物が、ぬかるむ湿地をものともせずにこの地に入ってきた。
 フーロンと同じく器用な手を持つその生物は、彼らから卵を奪い、あまつさえ親を狩り出してその肉を食べた。
 揚子江の下流域を埋め立てて環境を変え、次々とフーロンの生息地を奪っていった。
 こうして殷の壺に描かれていたフーロンは、人間と言う生物の手によってこの地で絶滅してしまったのだろう。
 しかし、三畳紀にその姿をまとったフーロンは、なぜジュラ紀や白亜紀を越えて人間が現れる時代まで生存できたのだろうか?
 それは彼らが弱い生物だったからだろう…強い生物はある時代の環境に見事に適応している。だからその時代においては強い。
 けれども地球環境が変わった途端に絶滅する…これは恐竜や他の生物のみならず今の我々ホモサピエンスにも言える事だ。
 けれども、古世代から今日まで長く生きている生物は、あらゆる環境に対して柔軟に対応できる高い適応能力を持っている。
 きっとフーロンは様々な気候や棲息条件に合わせて、食性や生活を変えられる第四の種とでも言うべき生物だったのだろう。
 
 北京に帰ったチャン教授はフーロンに関する論文をまとめた。
 この小さな生物の様々な特徴から見て、これが爬虫類、恐竜、哺乳類のいずれにも属さない第四の種である可能性がある事。
 フーロンが、ジュラ紀、白亜紀、新世紀をまたぎ、人間が文明を開く頃まで揚子江下流域に生存していた可能性がある事。
 古生物学の権威でもあり、世界的に有名な老学者レイモンド・チャンの論文は学会の波紋を呼んだ。
 一見して小型恐竜のように見えるフーロンが第四の種であり、近年まで生きていたと言う説は余りにも衝撃的だった。
 早速、世界の各地域で古生物史を塗り替えるであろう第二のフーロン探しが行われる事となった。
 けれどもその頃チャン教授の癌は悪化し、手術のための入院を余儀なくされた。
 フーロンの研究を中断せざるを得ない事は、彼にとって死よりも辛いことだった。
 そんなある日、闘病生活を続けるチャン教授の元に、医師を名乗る一人の日本人から一枚のレントゲン写真が届けられた。
(日本にフーロンが生きていた!…まさか?)
 それはまさしくフーロンの背中の骨格のレントゲン写真だった。

~続く~

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人の矛盾 

オリジナル詩集

人の矛盾

人の矛盾

人の矛盾の 最たるものは
人が神の如き 知恵を持ちながら
その精神が 幼稚な事であろう

人の上に立つ者は 人一倍情けが深い
よって 多くの人の世の支配者たちは
みな 配下の人民を愛し これを慈しむ
だが 人民を愛しすぎるが故に 真理を愛さず
よって 自分の愛情を受け入れぬ者を 排斥する
真理の探求者を追放し 支配者を諌める賢者を殺す
人民もまた 上に立つ者の行いを見て これに倣う

人の世の支配者は 人民に恩恵を与えてまわる
村や町を作り 橋を作り 国家を作り 強兵を養う
しかし 真理は養わず 人の心を育てる事はしない
かくして 真理という土台を欠いた国は やがて傾く
心の育たなかった人民は 利益を求めて去ってゆく

あらゆるものは 留まる事なく進歩してゆく
けれども 人の精神は一歩たりとも進歩しない
ついには 自ら生み出したもの 自ら得た力
自らが構築した 世界の有様に着いてゆけず
支配者も 人民も 自らの手で自らを滅ぼす

支配者は 真理を知らず 真理を遠ざける
故に 配下の人民もまた 支配者を見習う
よって 双方とも 天に愛される事はない



死んだ男の残したものは 歌:竹下ユキ
1960年~70年代、世界は今と同じく(資本主義と共産主義の)争いで荒れ狂っていました。
人の作った思想のみが尊重され、命が軽視された結果、ベトナムなど世界各地で大勢の人々が無残に死んでゆきました。
人の作った思想や掟は、しょせん人間界だけのものであり、叫ぼうが喚こうが天には届かぬ虚しいものだと知るべきです。


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ゴジラの子守歌 第17夜 

▼ゴジラの子守歌

ゴジラ17

 福島から石巻へ行くには常磐自動車道を通るのが普通だが、東日本大震災によって道路は寸断されていた。
 遠回りにはなるが、一旦バイパスから東北自動車道に入り、大きく迂回して石巻に帰るしか方法はなかった。
 福島原発事故跡の放射能汚染物中から拾ったせむしの幼女を乗せて、安住は東北自動車道に入った。
 そうしてしばらく走っていると、大きな黒塗りの外車のセダンが後ろから近づいてくるのが見えた。
(豪勢なアメ車だな…こちとら震災で貧乏してるってのに、金持ってる奴はさすがに違う)安住はそう思った。
 当然、追い越し車線で先に行くだろうと思えた黒い外車は、なぜかそのまま安住の後に付いてきてドライブインに入った。
 時刻はちょうど正午をすぎたところで、食事時とあってかドライブインの駐車場には多くの車が停まっていた。
「ここでおとなしく待ってろよ。弁当とお菓子とジュースを買ってきてやるからな」
 駐車場に車を停めた安住は、ドアを開けながら言い聞かせるように幼女に言った。
 言葉が通じないのは分かっているが、かと言って、幼女を一緒に中まで連れて行く訳にもいかなかった。
 奇形児である幼女を食堂に連れて入ると皆にジロジロ見られるだろう…さらし者にするのも可哀相だった。
 だから、売店で弁当を買ってからどこか見晴らしのいい場所に車を停めて、食べさせてやろうと思ったのだった。

 安住はドライブインの売店で、二人分の弁当とお菓子と飲み物を買って代金を支払った。
 その時、突然外の方から、キン!と言う甲高い金属音に似た音が聞えてきた。
 続いて、ドカ~ン!と言う爆発音が響いてきて、売店の窓ガラスがガタガタと揺れた。
(何か事故でも起きたかっ!?)
 車に残した幼女の身を案じた安住はとっさに外に飛び出した。
「あっ、あのバカッ!…いつの間に外に」
 ドライブインの駐車場では、安住の車の後に付いてきていたあの黒塗りのセダンが火を噴いていた。
 そしてその側には、車の中から逃げ出そうとして力尽きた男が、火だるまになって倒れていた。
 ところが何と、火だるまになっている男の前には、いつの間に外に出たのか?せむしの幼女が立っていたのだった。
「危ねぇっ!!」
 駆け寄った安住は、あわてて幼女を抱きかかえて自分の車まで戻った。
 たちまち大勢の野次馬が群がってきて、燃える外車を遠巻きにしてスマホに収めたりしていた。
 だが肝を冷やした安住は、助けた幼女を車に乗せるとほうほうの体でドライブインから離れた。
 その様子を物陰から見ていた黒服の男の存在などに、この時の安住は気づく余裕もなかった。

「まったく危なっかしいヤツだなぁ…昨日は放射能廃棄物の中、今日は燃える車の側か。お前はいったい何なんだ」
 半ば呆れ果てたような顔をして安住は幼女を叱った。
 けれども幼女は、きょとんとしたような顔でニコッと笑ってみせた。

~続く~

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ゴジラの子守歌 第18夜 

▼ゴジラの子守歌

ゴジラ18

「やれやれ…これから先が思いやられるわぃ」
 そう言いながら安住は、幼女の頭をくしゃくしゃ撫で回した。
 腹立たしいやら可愛いやら、ともかく幼女が巻き込まれずにすんだ事が何よりだった。

 安住は福島の原発事故現場で拾ったせむしの幼女を連れて、一年ぶりに石巻の仮設住宅団地に帰ってきた。
 石巻の仮設団地は林に囲まれた小高い丘の上に設置されていた。そこなら津波に襲われる心配がないからだ。
 仮設団地には、東日本大震災で石巻を襲った大津波で、家族や家を失った大勢の人たちが一緒に暮らしていた。
 団地の駐車場に車を停めた安住は、幼女を降ろして自分が住んでいた仮設住宅に向かった。
 久しぶりに高台から見下ろす石巻の街は、あちこちに瓦礫が積まれていて、災害の爪痕を残す更地が広がっていた。
 あの大津波に襲われて完全に破壊されていた港には、小さな船が何とか出入りできるだけの仮設桟橋が設けられていた。
(漁ができるようになるにゃぁ、まだまだほど遠いのぅ)安住は大きなため息をついた。
 あの大震災でどれだけの人が命を落とし、どれだけの人が涙を流した事だろう…復興への道のりは険しかった。

「おゃ、ゴロさんじゃないかぇ?…いつ帰ってきなすったべ」
 声を掛けられて安住が振り向くと、隣の仮設に住んでいる老婆が立っていた。
「あぁ、シゲさんかい…一年ぶりじゃべのぅ」
「福島の危ない所に行ったっちゅうから心配しとったんじゃべ…放射能は大丈夫だったかの?」
「まぁ、何とか生きて帰ってきたわい…わしゃぁ、津波で船が転覆しても生きとったからのぉ…悪運は強い方じゃべ」
 安住はそう言ってやせ我慢して見せたが、シゲは彼が連れている幼女を見て言った。
「そのめんちゃこい(可愛らしい)のはどこの子かいの?…見たところ日本人じゃねぇべな」
「福島で一緒に働いとった外国人労働者の子じゃべ…親が事故で死んでしもうて身寄りがなくなっての」
「それで連れてきたんかいね…ゴロさんらしいわのぅ」
「あぁ、取りあえずわしが預かってやろうと思うてな」
 安住はそう言ってシゲをごまかした。彼が面倒見のよい人間である事はシゲもよく知っていた。
「じゃけど、えろうばっぱ(老婆)のわしみてぇに背中が曲がとっるがどうしたんかいの?」
「こいつは生まれつきのカタワらしいんじゃべ」
「そりゃ、そりゃぁ、不憫なこっちゃなぁ」
「あぁ、ちょうどこんくらいの孫娘を震災で亡くしたからの…つい情が移っちまってな」
「そうかい、そうかい…ま、独りでいるよりゃ気が紛れようが、男手で面倒見られるんかいの?」
「まぁ、いっつも陸に上がったときゃぁ、娘に子守を押し付けられとったからの…何とかなるじゃろうて」
「困ったらいつでもばっぱに言ってきたらえぇよ…隣におるでの」

~続く~

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すべては10秒で終わっていた 

随想/論文集

平和ドーム

今から72年前の8月6日と8月9日 米軍のB29爆撃機によって広島と長崎に未だ存在しなかった新型爆弾が投下されました。
その二発の新型爆弾は、現在世界の核保有国が持っている標準的な核弾頭の1/100の威力しかない小さな原子爆弾でした。
しかし、その小さな原爆はわずか10秒で十数万の人々の人体組織を破壊し、二つの街を壊滅させる破壊力があったのです。
(▼) 原子爆弾が、たった10秒で起こす「放射線」「熱線」「爆風」の人智を超えた三つの恐るべき破壊力をどうかご覧下さい。


原爆投下 10秒の衝撃 (NHKアーカイブ 1998年製作)

被爆母子

(▲) たくさんの原爆写真を見てきた私には、どうしても忘れられないたった一枚の写真があります。
自らも顔に火傷(ケロイド)を負いながら、身体を焼かれて弱っている赤ん坊に懸命にお乳を与える母親の写真。
もう助からないかも知れない子供を、それでも命尽きるまで育てようとするその姿が、強く私の胸を打ってやみません。
地獄と化した惨状の中で、自分を忘れて我が子を慈しむ母の愛とはこれほど深いものでしょうか…涙があふれてきます。
たった10秒で数万人の命を奪う兵器を作る人もいれば、たった一つの傷ついた命を、一生懸命救おうとする人もいます。
あなたが人の命を何とも思わないなら、人もあなたの命を奪う事を何とも思いません…現に今の世界はそうなっています。
でもあなたが人の命を大切に思うならば、人もあなたの命をかけがえのないものだと思って、大事にしてくれるでしょう。
人は悪魔に魂を売る無慈悲な者にもなれるし、聖母マリアの様な優しい母にも、仏の如き慈悲深い者にもなれるのです。

(▼) 米兵に食べ物を分けてもらった少女は、優しいアメリカ人があんな惨い爆弾を落とすはずがないと思っていた。



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「希望は戦争」 ~戦争したがる右傾化した若者の病理~ 

随想/論文集

希望は戦争

広島・長崎の平和式典がイヤで、基地に抗議する沖縄が嫌い…従軍慰安婦や南京虐殺を言う韓国人や中国人はクズだ。
平和などクソ食らえ!「戦争を希望する」…10年前にニートだったある若者の書いた本が、今日本に重くのし掛かっている。
すでに中年の域に入った彼は未だにニートだが、政府の基準である15歳~35歳の失業者に入らない為にニートですらない。
右傾化している日本人には二種類の異なった層がある…一つは、自らが努力して今の立場や収入を勝ち取った者達である。
彼らはよく働くが、既存のエリート層に比べて基盤が弱く転落を恐れる。そこで身を守る為に保守的にならざるを得ないのだ。
「自己責任」「努力不足」「怠け者」と人を差別して、這い上がろうとする者や弱者を排斥するのは己の恐怖心と保身からだろう。
かく言う自分も自営業で小さな成功を収めた人間なので、了見が狭過ぎるとは思うが、保守的右翼のホンネは分らぬでもない。
けれども、その保守的右翼の標的にされて苛められているはずの若者や派遣社員までが右傾化しているのはなぜだろうか?

全労働者に占める派遣社員や非正規雇用者の割合は、この10年で2千万人を越え4倍に達した。大半は低賃金・低所得者になる。
将来設計も成り立たず、40を過ぎても低賃金のままで結婚すら出来ない…そんな希望の無い彼らが望むのは社会変革なのである。
本来なら、貧しい労働者の味方として彼らを救済するのは社会主義勢力のはずなのだが、今や著しく衰退していて見る影もない。
社会制度は資本主義者に都合がいい様に作り代えられ、格差は開く一方で、彼らは社会の片隅に見捨てられた孤児となっている。
変革を望む彼らが社会主義勢力に頼れなくなった今日、社会を変革する可能性のある唯一の手段…それが戦争になる訳なのだ。
これで彼らが右傾化してゆく理由がお分かりになっただろうか?つまり、前者が懸命に現状を維持しようと右傾化するのに対して、
後者は現状を破壊する為に右傾化しているのである…実は今の状況と似た様な現象は、昭和初期の世界恐慌の後にも起こった。
折りしも10年前にロシアの労働者革命が起きたばかりで、政府は貧しくなった労働者の間で社会主義運動が広がる事を恐れた。
そこで、市民の言論や行動を規制し、反政府活動を禁止する法律を作り、社会主義者や政府を批判する文化人を取り締まった。
そして、期待していた人々が弾圧された為に、希望を失った貧しい労働者は、それなら…と戦争による現状破壊への道を歩んだ。

同じ右傾でも前者は阿部首相を支持してるが、後者は、寧ろその背後で過激な発言をしている右派系国会議員を支持している。
前者は企業規制を緩和し、法人税を減免してくれる阿部首相のアベノミクスを歓迎するが、後者はそんなものには興味がない。
恩恵が自分達の所には回ってこないのを知っているからだ。逆に憲法改革や軍備増強、市民を規制する法案には賛成している。
北朝鮮がミサイルを発射した方がよく、中国が尖閣諸島で騒いでくれる方がよく、それに乗じてポピュリストが台頭した方がよい。
それだけ社会変革を齎してくれる戦争が近くなるからだ…それが社会の底辺にいながら右傾化してゆく若者達のホンネである。

社会変革さえ叶うなら血が流れてもよく、戦争が起きても構わない…と言う考え方は、余りにもねじれていて病的にさえ思える。
けれども、その背景には既存エリート達が構築した歪んだ格差社会…彼らをそこまで追い詰めてしまった閉塞感が存在している。
近年、極右勢力の台頭に悩まされていた欧米も日本と同様の事情を抱え、英国ではEU離脱、米国ではトランプ政権が誕生した。
だが、最近は過ちに気づいた若者達によってマクロン政権が誕生し、英国保守党が大敗するなどリベラルな流れに変りつつある。
正常な軌道に戻りつつある欧米に比べ、リベラルな中道左派(と言ってよいのかどうか分からないが)の受け皿を持たない日本。
若者達が抱く願望次第では将来が危ぶまれてならない…この問題は、また改めて練り直して提起したいと思っています。

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